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每日阅读(7.27):「論語とそろばん」の両立

时间:2008-07-27 11:16:46  来源:本站原创  作者:Echo

みずほ証券が株を大量に誤って発注した問題で、与謝野経済財政・金融担当相が述べた。「誤発注と認識しながら、他の証券会社がその間隙(かんげき)をぬって自己売買部門で株を取得するというのは美しい話ではない。行動の美学を持つべきだ」

かん‐げき【間×隙】:1 物と物との、あいだ。空間的・時間的すきま。「人込みの―を縫って進む」「ディフェンスの―を突かれる」

2 人間関係の隔たり。不和。「二人の間に―を生じる」

    日本财政金融大臣与谢野就以错误价格收入大量瑞穗证券股票这一问题陈述道,“其它证券公司不要以为认识到这是误订购,就能钻空子为自己的销售部门获取大量股票。应该拥有行动的美学。”

 

 今回、いわば瞬時に何億、十何億円という利益を得たとされる証券会社が幾つかある。発注後に間もなく間違いと気付いたが、システムの不備で訂正が利かず市場を巡ったジェイコム株をつかまえた会社だ。

       这次,还有几家证券公司在一瞬间得到数亿,甚至数十亿的利益。该公司在订购后不久便已注意到价格错误,但仍利用因系统漏洞而无法撤单这一市场,到手了不少J:COM股票。

 

 生き馬の目を抜く舞台で、俊敏に仕事をしたに過ぎないとも言えるだろう。しかし一方では、本当にこれでいいのだろうかという思いもわいてくる。

生き馬の目を抜く:生き馬の目を抜き取るほど、すばやく物事をする。油断のならないさま。生き馬の目を抉(くじ)る。「―・くせちがらい世の中」

       或许也可以说这些公司不过是在应当机立断的场合下,敏捷地完成了工作而已。但从另一方面来看,却又涌现出种想法,真的这样就好了吗。

 

 「右手にそろばん、左手に論語」。利潤の追求と道徳という、一見相いれない二つのものをあえて両の手に掲げたのが、明治期の実業家の草分け、渋沢栄一だった。著書の『経営論語』には、こんな一節がある。「古くから、『盛(さか)って入るものは盛って出づ』といふ諺がある。一攫千金の相場で儲けた金銭なぞが即ちそれで……」

くさ‐わけ【草分け】:1 土地を切り開いて、そこに村や町を興すこと。また、その人。

2 ある物事を初めて行うこと。また、その人。創始者。「電子工業界の―」

       “左手算盘,右手论语。”这是明治时期实业家的创始者涉泽荣一所提出的,敢于用双手同时抓住追求利润和道德这两项貌似水火不容的事物。在涉泽所著之书《经营论语》中,有这样的一节。“自古以来,就有‘盛って入るものは盛って出づ’这样一句谚语。靠一攫千金的行情所储下金钱也就意味着到此为止了……”

 

 銀行家でもあった渋沢は、投機には一切手を出さなかったという。「論語とそろばん」が両立しにくい分野だと考えたのだろうか。「商売の徳は売る者も買ふ者も共に利益を得て悦ぶ所にある」とも述べている。

涉泽同时也作为一个银行家,却从未投机取巧赚过一分钱。或许考虑到金融界是“论语和算盘”难以并存的业界,同时也补述道,“商业道德存在于能让买卖双方双赢的皆大欢喜之处”。

 

 兜町の東京証券取引所の前身である東京株式取引所は、渋沢らの提唱によって、明治11年、1878年に開設された。商売にも道徳的な美を求めた創設者の目に、今の巨大な市場は、どう映ることだろうか。あえて、辛口の言葉を聞いてみたい気もする。

       明治11年,即1878年,据涉泽的提议,建立了东京股票交易所,它正是兜街东京证券交易所的前身。在追求着商业中的道德美的创建者眼中,如今庞大的市场呈现出什么样子呢。感觉是故意想去听听前人的逆耳忠言罢。

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