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每日阅读(8.08):耐震にめぐる議論

时间:2008-08-08 08:19:15  来源:本站原创  作者:Echo

大地震に備えるには、建物を鉄やコンクリートで固めるのがよいのか、それとも柳のように揺れを吸収する方がよいのか。関東大震災の直後、建築界でそんな議論が起きた。「柔剛論争」と呼ばれた。

       为了预防大型地震,建筑物是该使用铁和混凝土加固的好,还是像柳条一般能够缓解震度的好?关东大震灾发生后,建筑界曾发生过这样的争论。人们称之为“柔刚争论”。

 

 地震にからむ論争は戦後もあった。総ガラス張りのビルが東京や大阪に建ち始めた1950年代、「地震が心配だ」「いやガラスの持つ不安感は芸術性を高める」と応酬が続く。こちらは「不安感論争」と命名された。

おう‐しゅう〔‐シウ〕【応酬】

1 互いにやり取りすること。また、先方からしてきたことに対して、こちらからもやり返すこと。「杯の―が続く」「相手のやじに―する」

2 贈られた書状や詩歌などに返事をすること。また、その返し。応答。

       战后也曾就地震发生过争论。50年代,东京及大阪开始盖造表面镶满玻璃的大楼,“有点担心地震”,“不啊,玻璃给人带来的不安感具有很高的艺术价值”之类的相互驳斥一直持续不休,这一争论被命名为“不安感争论”。

 

 建築評論家の宮内嘉久氏によると、不安感論争の象徴となったのは、皇居わきに建った米出版社リーダーズ・ダイジェストのビルだった。ガラス面が大きく、柱が細く見える。建築学者や建設省技官らが「一度揺すってみないと安全かどうかわからない」などと盛んに批判した。

    据建筑评论家宫内嘉久先生所说,建在皇宫旁的美国读者文摘出版社大楼成了不安感争论的象征。该大楼看起来玻璃表面很大,而柱子很细。建筑学家和建设省技术人员曾激烈地批判它“不试着摇它一次,就不知道安全与否。”

 

 設計したのは、チェコ生まれの建築家アントニン・レーモンド氏である。戦前と戦後に計44年間日本で暮らし、関東大震災も体験した。「地震に強い」と評された建築家には心外な非難で、晩年に出版した自伝でもなお憤慨している。

しん‐がい〔‐グワイ〕【心外】

[名・形動]思いもよらないこと。思いがけないこと。思いがけない仕打ちや予想に反した悪い結果などに対して、腹立たしく感じたり残念に思ったりすること。また、そのさま。「疑われるとは―だ」「―な結果に終わる」

    设计这座大楼的是捷克建筑师安托宁·雷蒙德先生。从战前到战后,他在日本整整生活了44年,也曾经历过关东大震灾。对于被评价为“耐震性强”的建筑家来说,实在是意想不到的批判。他在晚年出版的自传中仍表示出自己的愤慨之情。

 

 レーモンド氏に師事した建築家ふたりの回顧展を見て回った。東京・上野の東京芸術大で25日まで開催中の吉村順三展と、23日に東京駅で始まった前川國男展である。

し‐じ【師事】

[名](スル)師として尊敬し、教えを受けること。「著名な陶芸家に―する」

    笔者去参观了曾从师于雷蒙德的两位建筑师的回顾展览。分别是将于在东京·上野东京艺术大学中举办的吉村顺三展,目前仍在展览中,于25号闭幕,以及23号在东京车站举办的前川国男展。

 

 吉村氏は生前「大震災を見て建築家を志した」と語っている。前川氏も建物の頑丈さには終生こだわり続けた。どちらの会場でも、設計図や模型に顔を近づけて見入る人々のまなざしが印象に残った。戦前から日本の建築界が耐震や免震にどれほど心を砕いてきたのか改めて思いを致した。

心を砕・く 

いろいろと気を遣う。心配する。「育児に―・く」

       吉村先生在生前曾说过自己“经历过大震灾后便立志要成为一名建筑师”。前川先生也终生执著于建筑物的牢固性。在这两处展览场地,人们仔细打量设计图及模型等的目光给笔

者留下了深刻印象。在此,笔者再次联想到,从战前开始,日本建筑界在耐震和免震方面上

花费了多少心血啊。

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