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每日阅读(8.19):哀れな草

时间:2008-08-19 08:26:48  来源:本站原创  作者:Echo

トリを焼く煙がもうもうとあがり、勢いよく通りに出てゆく。東京・吉祥寺の駅前で、井の頭公園に近い場所だ。この春に逝った歌手、高田渡さんの行きつけだった店の止まり木で、しばししのんだ。

しばし【▽暫し】

[副]《「しまし」の音変化》少しの間継続するさま。しばらく。「歓声は―続いた」「―の別れ」「待て―」

止まり木

酒場などのカウンターの前に置く脚の高い腰掛け。

东京吉祥寺车站前,井之头公园附近,有烤鸡的烟味袅袅上升,一股脑朝街道方向弥漫开来。笔者来到今年春天去世的歌手高田渡先生过去常去的那家店,坐在高脚台上,稍稍有些怀念起他。

 

 「鉄砲や戦車や飛行機に/興味をもっている方は/いつでも自衛隊におこし下さい/手とり足とり教えます」。「自衛隊に入ろう」は1967年、高田さんが都立高の定時制に通う頃に作られた。このデビュー曲が放送禁止になった。

ていじ‐せい【定時制】

学校教育で、夜間その他特定の時間・時期に学習を行う課程。「―高校」

       “对枪与坦克飞机/感兴趣者/请随时到自卫队来/手把手教你们打仗”1967年,高田先生在都立高中实行定时制时推出了《请加入自卫队》一歌。这首歌初面市时曾被禁止放送。

 

 主義主張を正面からぶつける作風ではない。「あたりさわりのないことを歌いながら、皮肉や批判や揶揄(やゆ)などの香辛料をパラパラとふりかけるやり方が好きだった」と自著『バーボン・ストリート・ブルース』(山と渓谷社)に書いている。

    高田先生并非主张正面冲撞政府的主张。“我喜欢唱些看似无关痛痒的歌,再往里边加点讥讽,批判和揶揄的香辣调味料。”他在自著《波旁·街道·布鲁士舞》(山与溪谷社)中这样写道。

 

 何度聴いてもしんみりするのが「すかんぽ」だ。「土堤の上で すかんぽは/レールの間に 生きていた/急行ごとに気を付けをし/人の旅するのを眺めていた」。酒場や小劇場で自作詩の朗読を続けたドイツの詩人、ヨアヒム・リンゲルナッツの「哀れな草」に緩やかな曲を付けた。弱い草だが「目もあり 心もあり 耳もある」と、語るように歌う。

       笔者听过多次仍觉伤感的是那首《酸模》。“土堤上/酸模摇曳于铁轨间/在列车呼啸而过时 小心翼翼地蜷缩起来/然后远远目送人们的旅途”这首歌歌词来自德国诗人尤阿希姆·林格纳斯的《哀草》,他曾一直浪荡于各酒馆和小剧场间,朗诵自己所作的诗。高田先生的歌在这首词上添加了缓慢的旋律。歌中诵唱到孱弱的小草亦向世人诉说着自己“有着双目,有着心灵,有着双耳”。

 

 高田さんがドイツを訪ねるNHKのテレビ番組で、原詩に軽快な曲を付けて歌う現地の青年たちが出てきた。気を付けする草にはこっけい味があるから、明るく歌うのも分かるが、高田さんはその姿に、生きるものの愁いと根強さも見ていたのではないか。

       NHK所拍摄的高田先生走访德国的电视节目中,有当地的青年在原诗上配上轻曼的曲调歌唱。小心翼翼的小草确然给人种滑稽的感觉,所以编成轻快的歌曲也能理解。但高田正从小草那略显滑稽的姿态上,看到了生者之哀及韧性之强。

 

 1月1日生まれで、存命なら明日が57歳の誕生日だった。その歌は、人々の心の中に流れ続けてゆくだろう。

       高田先生于1月1日出生,若尚在人间的话明天将会是他57岁生日了。而他的歌,将会永远在流淌在人们心中。

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