每日阅读(9.30):「至宝」展の漢字
「良寛はしきり(に)欲いのですとても手には入りませんか」。晩年に良寛への関心を深めた夏目漱石が、1914年、大正3年に知人に送った書簡の一節だ。
夏目漱石晚年对良宽的兴趣俱增。1914年,大正3年间他写给友人的书信中,有一段写到“我很想要良宽的作品,不过恐怕很难到手吧。”
1年余り後に、念願がかなって手に入った時の礼状には、自分の書が所望ならいくらでも書きましょうとしたためている。「良寛を得る喜びに比ぶれば悪筆で恥をさらす位はいくらでも辛防可仕(つかまつるべく)候」(『漱石全集』岩波書店)。
一年多以后,漱石终于如愿以偿。在他当时写下的谢函中提到,若是中意自己的书法,再多也愿为其书写。“与得到良宽作品的喜悦相比,我愿随时将拙作奉上,就算再怎么当众出丑也罢。”(《漱石全集》岩波书店)
良寛の書いた「詩書屏風(びょうぶ)」が、東京・上野で開催中の「書の至宝」展に出品されている(東京国立博物館 19日まで)。自詠の漢詩を草書で揮毫(きごう)したもので、筆画が極度に省略されていることもあって、ひとつひとつの文字は読み取りにくい。しかし、墨で示された筆の通り道と、その周辺の空白との間には、不思議な一体感が生まれている。屏風全体として、見る側を緩やかに包み込むような大きさがある。
在东京·上野召开的“书之至宝”展览会中,展出了良宽所书的“诗书屏风”(东京国立博物馆 19日止)。良宽用草书信笔挥毫下自咏的汉诗,由于笔画省略过多,很难逐字阅读。但是,墨迹所留下的用笔痕迹及其周边的空白处间,隐隐蕴有神秘的一体感。从屏风整体来看,其大小差不多能将观者宽松地围裹住。
良寛は、中国や日本の書を手本にしながら、独自の書風を手にした。「至宝」展は、その手本のひとりとされる「書聖」王羲之(おうぎし)を含め、古代中国から日本の江戸期までの数々の逸品を中心に展示している。
良宽以中国和日本的书法作为楷范,同时创作出独特的书法风格。“至宝”展览会上,展出了从古代中国到日本江户时期的不少书法珍品,其中包括良宽的楷范之一“书圣”王羲之的作品。
うらないを記録した文を牛骨に刻んだ「甲骨文」は、3千年以上前のものだ。文字の祖先のような素朴な線の連なりの前で、漢字がたどってきた長い歴史を思う。
3千多年前,刻在牛骨上的“甲骨文”记录了种种占卜活动。站在这些像文字祖先一般简单的线条前,笔者不由思考起汉字所经历的漫长历史。
さまざまな時代を経て日本へも渡り、ひらがなが生まれ、今に至った。漢字とかなの、ぜいたくな競演の場となった会場を巡り歩く。「東洋の記憶」とでも名付けたい音楽が、どこからともなく響いてくるかのようだった。
汉字经过不同的时代传来日本,后人以它为基础创造出假名,沿用到了如今。走在不同时期的汉字竞相斗妍的会场,仿佛可以隐约听到一曲欲将之取名为《东洋的记忆》的曲子。
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