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每日阅读(10.28):基地

时间:2008-10-28 10:13:21  来源:本站原创  作者:Echo

昔、米軍の基地を「包囲」しようとしたことがある。ただし、ひとりで、てくてく歩いて——。東京西郊の立川基地は、戦後長い間、米軍基地だった。大学の休みに基地沿いに歩いて、その大きさを実感しようとした。まだベトナム戦争が続いているころだった。

       笔者曾试着“包围”过美军基地。不过只是一个人徒步而行——。战后很长一段时间,东京西郊的立川基地曾是美军基地。笔者在大学的假期沿着基地走了会,想要感受一下它的壮观。那还是越南战争期间的事了。

 

 ゲートから、フェンスの外の道ぞいに歩いた。しかし、行っても行ってもフェンスは途切れない。かなりの暑さの中、3時間近く歩いたところで「包囲」を断念した。地図を見ると、歩き終えたのは、まだ外周の半分足らずだった。

       笔者从大门起,沿着桓墙外的道路往前走。但是无论走多远,桓墙仍延绵不绝。天气也太热,笔者走了近三小时后就放弃了“包围”的念头。看了下地图,才发现自己停下脚步的地方还不到外周的一半。

 

 立川基地は1977年、昭和52年に日本に全面返還され、やがて自衛隊の駐屯地や公園になった。しかし戦後60年が過ぎても、返還されていない基地が全国には数多い。

       1977年,昭和52年,立川基地全部返还了日本,不久后成为自卫地的驻扎地和公园。但是战后60年过去了,全国还有不少尚未返还的基地。

 

 神奈川県の厚木基地の米空母艦載機を山口県の岩国基地へ移す計画を巡る岩国市の住民投票で、「反対」が多くを占めた。市民の反対が強く切実なことが改めて示された。

       就神奈川县厚木基地的美国航空母舰载机迁移到山口县岩国基地这一计划,岩国市居民投票中“反对”占多数。市民们反对之情,再次昭示了一个强烈而痛切的事实。

 

 あの遠い夏の日の基地「包囲」のころは、基地と日々隣り合って暮らす人々の切実さには、あまり思いが及ばなかった。今、沖縄をはじめとしてこの列島にあり続ける米軍基地の多さを考えると、日本は世界の戦場とつながっているという現実が目の前に迫ってくる。

       那个遥远的夏日,笔者在“包围”基地时,并没有想太多那些住在基地附近人们的切身问题。而如今,一想到以冲绳为首日本列岛上遍布的美军基地,就不由迫切地感受到日本同世界战场相联系这一现实。

 

 国の安全保障の問題では、地元の意向がすんなりとは通りにくいかもしれない。しかし基地の存在が大きくなり重くなることは、その地の人々の日常を、より戦場と強く結ぶことにつながる。自治体、政府の側はもちろんだが、基地から離れている身でも、それを忘れないようにしたい。

       在国家的安全保障问题上,或许当地的意见很难轻易通过。但是,基地存在的实感越深,份量越重,就越将当地人们的日常生活更加紧密地与战场连结在一起。自治体和政府方面自不待言,希望已经远离基地的人也牢牢记住这一点。

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