每日阅读(2.27):ジャコメッティ
日曜日、所用のあった横浜から葉山町まで足を延ばした。神奈川県立近代美術館葉山での「アルベルト・ジャコメッティ——矢内原伊作とともに」展(30日まで)を見た。
周日,笔者有事去往横滨,顺便去了趟叶山町,观访了神奈川县立近代美术馆在叶山举办的“阿贝尔·贾柯梅蒂——与矢内原伊作同在”展览(30日止)。
矢内原氏は哲学者で、父は東大学長を務めた矢内原忠雄氏だ。フランスに留学し、ジャコメッティのモデルを繰り返しつとめた。その時の彫像や絵が並ぶ。ほかにも、あの独特の針金のようにそぎ落とされた人体などが置かれている。
矢内原先生是一名哲学家,他的父亲矢内原忠雄曾就职于东京大学校长。他曾留学法国,还多次成为贾克梅蒂的模特。展馆内陈列着当时的雕像和绘画。此外还有像是特制的金属丝一般雕琢成的人体雕像。
「彫刻は空虚の上にやすらう」。ジャコメッティがそう述べたと、詩人で仏文学者の宇佐見英治氏が『見る人 ジャコメッティと矢内原』(みすず書房)に書いていた。「じっさい彼のひょろ長い彫像は空虚から不意に出現して、またあらぬところへ消え去ろうとするかのように見える」とも記す。
ひょろ‐なが・い【ひょろ長い】
[形]ひょろひょろと、細くて長い。「―・い手足」
诗人兼法国文学家的宇佐见英治先生在《所见之人 贾克梅蒂和矢内原》(美铃书店)中写到,贾克梅蒂曾说过“雕刻停于虚空上的休憩”,接着写到“事实上,他那纤细的雕像看起来就像倏然出现于虚空中,转瞬间又再次湮灭于虚空中。”
その彫像に相対していると、消え去りそうで消え去らないものにも見えてくる。削りに削っていっても、決して零にも無にもならない人間の生を表しているような気がする。展示室の窓の外に、葉山の海が広がっている。手前に並んだジャコメッティの立像が海に浮かんでいるような、取り合わせの妙を味わった。
打量着眼前的雕像时,总感觉它仿佛将要消失一般,却又萦绕心头挥之不去。同时也觉得它仿佛揭示了这样的道理,人的生命无论如何削减也不会回到零点,或是归于虚无。展览馆的窗外是叶山无边无际的海洋。笔者饶有兴趣地观赏了两者巧妙的组合,觉得摆放在眼前的贾克梅蒂的雕像仿佛飘浮于海上一般。
外へ出て海を眺める。『見る人』にはこんな記述もある。ジャコメッティや矢内原、イギリスの彫刻家が、地球がどんな形をしているかを議論した。彫刻家は「でこぼこしている」、矢内原は「丸い」と述べた。ジャコメッティは「地球は尖(とが)っている」と言った。
出去后眺望了大海。《所见之人》中也写到过,贾克梅蒂和矢内原,以及一名英国雕刻家曾讨论过地球是什么形状的。雕刻家说:“该是凹凸不平的吧。”矢内原说是“圆的”,贾克梅蒂则说“地球是尖的”。
海に薄日が差している。かなたの水平線を見ながら、尖った地球の上で尖った像をつくり続けた人をしのんだ。
微弱的阳光照射在海面。笔者一边远眺着远方的水平线,一边怀念起那个在尖尖的地球上一直雕刻着尖尖的雕像的人来。
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