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每日阅读(3.13):白木利周

时间:2009-03-13 12:04:51  来源:本站原创  作者:Echo

神戸市中央区の公園にある「1・17希望の灯(あか)り」は、阪神大震災の犠牲者を追悼するためにつくられたガス灯だ。白木利周(としひろ)さん(64)は、灯りの管理をするNPO法人の理事を務めている。

       神户市中央区公园中的“1·17希望之灯”是为追悼阪神大震灾中的死者所设的煤气灯。白木利周先生(64岁)担任管理该煤气灯的特定非营利活动法人的理事长。

 

 いろいろな行事の際に、火を分けてほしいと言ってくる人がいる。先月3日の夕方、須磨海岸の水の安全を祈願するため、婦人会の人たちが火を採りに来た。近くに自家用車をとめて分灯に立ち会った白木さんが30分後、車に戻ったところ、助手席の窓ガラスが割られ、置いてあったリュックサックがなくなっていた。長男の健介さんが使っていたものだ。

       在举行各种祭典时,总有人过来希望借点火。上个月三号傍晚,为了祈祷须磨海岸水的安全,妇女联盟的人过来取火。白木先生将私人汽车停在附近,赶过去给她们送火。30分钟后回来时,发现车子副司机座位的玻璃被打碎,置放在那儿的帆布背包也不见了。那是长男健介曾用过的背包。

 

「明日、6時に起こして」。それが最後の言葉になった。プレハブの自室がブロック塀に押しつぶされ、下敷きになった。21歳だった。

       “明天6点叫醒我”。这句话成了健介的遗言。自家的预制装配式房间被水泥预制板压塌了,他被压在了下边。当时他只有21岁。

 

妻は泣き続け、自分も長いトンネルの中にいるようだった。立ち直りの兆しが見えたのは4年後。各地につくられた慰霊碑を回る活動に、夫婦で参加するようになった。

       妻子一直哭个不停,自己也仿佛置身于漫长的隧洞中,直到四年后夫妇两人开始参加巡览各地死者纪念碑的活动,才出现一点振作的迹象。

 

以来、形見のリュックを背負う白木さんの姿が国内外の被災地で見られるようになった。ボランティア活動をしたり、義援金を届けたり。妻は再び体調を崩し、01年に亡くなったが、白木さんの活動はやむことなく続いた。

       之后,在国内外的灾区内都能看到白木先生背着儿子的遗物帆布背包的身影。他常参加志愿活动,热心捐款。后来妻子身体再次垮了,于01年离开人世。但白木先生仍然没有停止活动。

 

 「息子と一緒にいる安心感があった」という、黒い古ぼけたリュックには、金目のものは入っていなかった。テニスが好きだった健介さんが自分で買った。「WIMBLEDON(ウィンブルドン)」のロゴが入っている。「どこかに捨てられているのでしょう。何としてでも見つけ出したい」。白木さんはそう話した。

       那个陈旧的黑色帆布背包让白木先生感觉到“和儿子在一起的安心感”,包里没有一分钱。爱好网球的健介自己买下了这个包,上面还有“WIMBLEDON(温布尔顿)”的标识。白木先生说:“应该被人丢弃在哪儿了吧,无论如何我都想把它找出来。”

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