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每日阅读(4.14):気象学者の藤原咲平氏

时间:2008-04-14 11:18:37  来源:本站原创  作者:Echo

 

夏の台風は時に迷走する。先日の11、12号のように二つが接近すると、とりわけ複雑な動きを見せて予報官を泣かせる。双子がにらみ合って大回転することもあり、これは「藤原効果」と特別な名で呼ばれる。いち早く研究した気象学者の藤原咲平(さくへい)氏にちなんだ。

迷走:定まった道筋・進路を通らないこと。

       夏日的台风有时会不定向地前进。像前几天的11,12号一样,两阵台风接近,错综复杂的动向让天气预报员相当苦恼。双台风的相互作用下,有时会让气流产生大旋转,这种现象被特别称为“藤原效果”,是据最早开始研究它的气象学者藤原关平先生而得名。

 

 藤原氏は大正の末からラジオで気象解説を担当した。昭和16年、1941年に中央気象台長に任命されたが、4カ月後には天気予報が禁じられる。真珠湾攻撃の日を期して気象情報は機密とされた。台風の進路はおろか地震の被害や翌日の暑さ寒さも公表できなくなった。

       藤原先生从大正末期开始担任气象广播解说员。昭和16年,即1941年被任命为中央气象台台长,四个月后天气预报被禁播了。因受所定的真珠湾出击之日的影响气象情况被定为机密情报,台风的方向自不用说,连地震的波及范围以及次日的寒暑情况也未公开发表出来。

 

 予報が再開されたのは、敗戦直後の8月下旬だった。ラジオが「今日は天気が変わりやすく、午後から夜にかけて時々雨が降る見込み」と放送した。ほぼ4年ぶりの予報だったが結果は外れた。

       天气预报重新开始是战争失败后的8月下旬。广播里放送出“今日天气情况很容易变化,预计午后至晚上有阵雨”。约有四年没有进行天气预报了,但这次的预报并不准确。

 

 気象庁刊行の『気象百年史』によれば、その夜のうちに豆台風が上陸し、東京を暴風雨が襲った。手痛い黒星に藤原氏は頭を抱えた。今なら非難の猛風を浴びたはずだが、当時の人々は違った。空模様の予報を聴くだけで、戦火が去った実感に浸ることができたのだろう。

       根据气象厅发行的《气象百年史》,那一晚因小型台风的登陆,暴风雨袭卷了东京。对这一重大失误,藤原先生有些不知所措。在现代的话或许气象台会受到人们的大量指责,而当时的人们不同。仅仅是听到了天气预报,便能感受到战争远去的实感了。

 

 戦時中の翼賛的な言動が問題とされて、藤原氏は昭和22年春、公職から追放された。長女の霜田かな子さん(79)によると、そのすぐ後に体調を崩し、昭和25年の秋に永眠した。「気象学者としては無念な晩年でしたが、気象台の皆様は最期までご親切でした」と言う。

       因战争中的协助问题,藤原先生在昭和22年春被开除了公职。据长女霜田加奈子(79岁)所言,之后他的身体很快坏了下来,在昭和25年的秋日离开了人世。“作为一个气象学者来说是很遗憾的晚年,不过气象台的各位在临终前的日子都对家父相当亲切。”

 

 郷里の信州諏訪には、後輩たちが建てた記念碑がある。没後半世紀が過ぎたこの夏も、気象台職員ら60人が集い、花を手向けた。

没後:人が死んでからのち。死後。

       先生故乡的信州诹访,有后人为他建了纪念碑。在他去世半个世纪后的这个夏天,气象台60个职员也聚集在一起,为他而献花。

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